"Mineshi"と"Meeon"


僕は小5のときからギターを始めた。エレキギターだ。
ピアニストである父親の影響もあって、それまでもピアノやキーボードを触ることはあった。
だが、ギターは"しっくり"きたのだろう、練習したいから練習したし、必然的に弾けるようにもなった。
J-POPはもちろん、ゲーム少年だったからゲームBGMのギターソロをコピーしたりもした。

エレキギターは、音響機材のことを覚えるのにもつながっていった。
ギターを弾きながら受験して中学に入ると、親父がそれまで使っていた機材を使って音楽制作をするようになる。
最初は簡単なリフ、リズムとアドリブギターだけの作品だったが、親父に「メロディーが無い」と言われ、作曲することを覚えた。
そしてその年、父親ウォンウィンツァンのCDで1曲アレンジをすることになる。

今思えば、世の中に作品が発表されるということがどうゆうことなのか、このとき理解していたらアレンジはできていなかったかもしれない。
だが、ただ純粋にアレンジを楽しんで、形になったものに親父はOKを出した。
自分の作ったものが商品になる、これを切っ掛けに音楽活動が始まる訳である。

この頃から、親のインディーズレーベルから自分のCDを出すことをよく考えていた。
高2で「学校に行っているとCDを制作する時間が無くなる」と、自主退学した。
どんなCDにするかなど、具体的なイメージは無く、10代で・・20歳中には・・とやっているうちに、完成せず時は過ぎていった。

何故完成しなかったか、理由の一つに「そのまま親のレーベルから楽してリリースしてもいいのだろうか」ということがあったのだろう。
歳を取るたびにその想いは強くなっていった。

そして2004年夏、"Meeon(みーおん)"は生まれた。"ウォン美音志"とは違う別の活動名だ。
親のしがらみの無いその名前では、自由だった。
ジャンルは問わない、ギャラもいらない、ひたすらにネットで依頼を募集したり、良さそうなところにメールを送ったりもした。
その年の冬には、アダルトとはいえアニメBGMの仕事をもらったり「親の力がなくても音楽をやっていける」ということを実感した。
その仕事の依頼を受けた時は、それまで生きてきて一番の嬉しさを感じた。家の中を走り回ったのを覚えている。

そうやって"Meeon"の活動を続けながら、その対となる"ウォン美音志"の活動イメージは次第に固まっていった。
ウォン美音志としてのデビューCD『Inner Journey』の作曲を始めたのもこの頃からだ。
完成まで3年掛かりはしたが、着々と作業は進められた。
その間も精神面で紆余曲折あったのだが、それもまたCDに反映されていると思う。

2008年初夏、CDは完成して、それは自信を持って親のレーベルからリリースすることができた。
親のスタイルを継承しようとしたし、その中に自分のオリジナリティを表現しようともした。
どう評価されるかは二の次で、リリースできたことを純粋に喜べたし、親も喜んでくれた。

親父は一度、音楽を引退したいという話をしたことがある。
その真意はよくわからないが、とりあえず「続けてくれ」と言うことしか僕にはできなかった。
僕には親父の音楽が必要だし、親父が僕の音楽を必要としていることを信じている。

ここにきて"Meeon"は、言ってしまえば、出発点はプライドを持たない投げやりな存在であったのではないかと感じている。
とはいえ、『美しい音』『美音』『Meeon』なのである。
これからはたとえ"Meeon"の名で活動することがあっても、"ウォン美音志"の音楽に通じるものであるように心がけたい。

僕の音楽がもっと世の中に知れるようになって、いつか、お世話になった人々にご恩返しを、
刺激を与えてくれる自分のまわりにいる才能豊かな人々と一緒に活動できればと思っている。


2009年9月27日深夜 ウォン美音志(Meeon)